宝石としてのダイヤモンドは、非常に硬い「原石」を人の手で研磨(カット)することで、光り輝く存在となります。その点では「加工する人間が好き勝手にデザインする」「好きな形に加工する」ことができます。ただしとても硬いので、研磨して削り出しやすい面(ファセット)と難しいファセットがあります。
そしてカットの結果、何かの模様が見えることがあるかもしれません。もし「我が家の『家紋』が見える!」というダイヤモンドに出会えたら、それはその人にとって意味のあるダイヤモンドとなることでしょう。
ですがそうやってカットしたダイヤモンドが、身につけたときに光り輝くか、持つ人の魅力を引き立てる「宝飾品」となるか、は、また別の問題ではないか、と思うのです。ルーペや顕微鏡で見たときに「何かの模様が見える」ということも「付加価値」として重要なのかもしれませんが、「身につける宝飾品」として周囲に印象づけることも「宝石の機能」としては(最も?)重要な一面ではないか、と。
当店主は、ダイヤモンドは宝飾品に加工した時に、その輝きが見る人の目に入り、強烈な印象を与えることが大切、と思うのです。それにはルース(裸石)や指輪など現物を見て頂くより他にありません。(当店にはルースダイヤモンドの「測定装置」があります。)
「宝石として輝く」ことと「何か意味のある模様が見える」ことが両立すればよいのですが、「一方を重視したら他の良さが下がった」場合には・・・?それはお買い上げになるお客様にご判断して頂く以外にありません。
2016年05月04日
そのダイヤモンドは宝石として光りますか?
posted by アウロラダイヤモンド at 17:09| Comment(0)
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2016年02月18日
物理現象としての「ダイヤモンドの輝き」
みなさんはダイヤモンドの「原石」をご覧になったことがありますか?宝飾品に加工されるサイズの原石の場合には、それほどきれいでもなく輝いてもいません。曇ったような、それでいてやたらと硬い鉱物です。そのため研磨技術の発達していない時代ではダイヤモンドはあまり高評価を受けず、ルビーやサファイヤの方が珍重されていたと聞きます。
これが熟練の職人(ダイヤモンドカッター)の手にかかると、おなじみのあのキラキラと光る「宝石」になるのです。つまり研磨技術とデザイン(カットプロポーション)で「ダイヤモンドの輝き」の大部分が決まります。それらに加えて宝石の内包物(インクルージョン)による光の散乱や、「カラー」や「ファイヤ」に相当する光学的な吸収や波長分散も「輝き」に影響します。
つまり「悠久の時間をかけて自然界の中で偶然できあがった(手に取れるくらいに大きなサイズの)炭素の単結晶」、プラス「人の手が磨き上げたデザイン(原石のどこをどう削るか?)」が「ダイヤモンドの輝き」を決めます。
ですがこの「輝き」をすべて人為的に決めたり、同じ「輝き」を再現することは非常に難しいのは言うまでもありません。ほとんど炭素原子からできている「単結晶」ですので、結晶面によって、硬い・柔らかい・脆いなど物性の差が大きく、「削りやすい面」vs.「削りにくい面」が存在します。とても硬い材質なのでカッターの思い通りの面(ファセット)が削り出せるものではないですし、加工の過程で思わぬところが欠けたり割れたりすることもあります。もちろん内部の光学的な構造を制御することはほとんど不可能です。
カットデザインとしてのプロポーション設計は重要ですが、人為的な加工や制御が難しかったり及ばない部分があります。そこに人間の手(カット)が加わった結果が「ダイヤモンドの輝き」なのです。そんな「宝石としてのダイヤモンド」の輝き方や、「人間の眼に見える輝き」について、科学として考えてみたいと思います。そこから従来とは違った視点からの評価法が提案できるかもしれません。
posted by アウロラダイヤモンド at 13:26| Comment(0)
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